ようこそ 原町聖書教会のホームページへ。
原町聖書教会は、1997年に南相馬市原町区牛来の牧師の自宅を開放してはじまった『家の教会』です。 聖書のことばを神さまからのメッセージとして誠実に受け留め、実践しようと努めています。 小さな群れの教会ですが、家族的な愛がかよいあう暖かい交わりを大切にし、誰でも「ただいま」と言って帰ってくることのできるような「おかえりなさい」といつも受け入れる教会でありたいと願っています。 どなたでもお気軽においでください。
最寄り駅はJR常磐線の原ノ町駅です。 駅から教会までは徒歩で30分以上要しますので、ご連絡いただければ送迎します。 日曜礼拝の後、昼食を召しあがっていただくことができます(無料)。
私たちは、どんな人もひとりひとり神さまの目にいとしい尊い存在であり、それぞれが神さまから使命を託されていると信じます。 ところが罪によって、神さまと人との信頼関係がこわれ、人生や人間関係がスムーズにいかなくなっています。 神さまは、罪に囚われた私たちを救うことを願って、愛する御子イエス・キリストを私たちにくださいました。 私たちの罪の罰の身代わりとなって死んで、そしてよみがえったイエス・キリストを救い主として受け入れる信仰のみが、罪が赦され罪から解放され、内面から新しい人にされると信じます。 それだけでなく、キリストによる新しいいのち・永遠のいのちが始まって、信仰者の心の目には見える世界が一変します。 キリストによる救いの喜びと新生を、南相馬市とその周辺の方々にお伝えすることが、南相馬市に存在する私たちの教会の使命だと信じています。 聖書に示された生き方を選ぶとき、神さまはどれほど喜びと祝福をもたらしてくださるかを証しするために原町聖書教会は存在しています。
原町聖書教会の建物
2017年12月31日、20周年感謝礼拝の出席者
南相馬市では、3.11 大地震のあとの津波の被害で、670名以上の死者・行方不明者を出しました。 さらに、東京電力の福島第一原子力発電所事故による放射能汚染で避難指示が出され、多くの人が南相馬から市外へ、さらに県外へと避難しました。 牧師夫妻と1名の信徒以外は一時避難しましたが、今はほとんどが戻りました。 原子力発電所から半径20㎞圏内は警戒区域となって、特別な許可を受けた人でないと立ち入ることが禁止でした。 原町聖書教会は22kmのところにあり、日曜礼拝と平日の集会を続けることができました。
私たちの教会は単立で、特定の教団・教派に所属していません。 放射能汚染の風評被害で孤立してたいへんだろうと、遠い他県のいくつかの単立の教会の方々がわざわざ当教会を訪ねてきてくださり、暖かい支援の手を差しのべてくださいました。 それ以来、教会として交流の輪を広げていただきました。 さらに、被災地の警戒パトロール応援のために他県から派遣された警察の方たちの尽力によって、安全が守られてきました。 また、放射能の除染作業のために、全国から多勢の人たちが南相馬に来てくれました。 作業員の人たちは、放射線量の高いところに出向いて、除染のために労を惜しみませんでした。 おかげさまで、南相馬市内の居住区のほとんどの放射線量は危険な数値でなくなりました。 除染や復興の仕事のために他県から移って南相馬に1,2年滞在した方の中に、数名の人たちは原町聖書教会の日曜礼拝に出席し、教会員の人たちと交わりを深めてくれました。 東北の風土と異なる新鮮な風をもたらしてくれて、貴重な出会いと祝福にさずかりました。 神さまは、信じる者に、すべてを益にしてくださるとあらためて確信しました。 私たち被災地の人たちは、大事な人・愛する人や平穏な生活を失って、その価値に気づかせていただきました。 何事も、当然とかあたりまえという鈍感な受けとめ方でなく、地震による津波と放射能汚染とそれに伴う風評被害を通して、神さまと身近な人と善意の人々への感謝を深くさせていただく体験となりました。
2016年7月に、半径20㎞圏内にあった南相馬市小高区は居住制限区域を解除され、2017年4月から小高区の公立の学校が、生徒は少人数ではありますが再開されました。 これまで南相馬市と原町聖書教会のためにご支援とお祈りくださった方々、教会、団体の皆さまに心より感謝申し上げます。 この地に生かされていることを感謝しつつ歩んでまいりたいと思っております。
震災時の教会のメンバー
聖書教会入口